【画像】羽生結弦は母親にべったりエピソード7選!離婚理由にもなった?

先日、離婚を発表した羽生結弦さんは、『母親にべったりだ』との噂があります。

なぜ母親離れ、子離れができなかったのでしょうか。

今回は、羽生結弦さんが母親べったりエピソードを調べてみました。

目次

羽生結弦は母親にべったりエピソード7選!

画像】羽生結弦の母の年齢は?べったり同行の理由は宗教?

エピソード1:母親からの恋愛禁止令!

エピソード1は『母親からの恋愛禁止令!』です。

「シーズンは開始前からお母さんに厳しく言われたことがあったんです。それは、「絶対に恋愛禁止!」ということです。さらに厳しく言われました。」とコメントしています。

すごいですよね…絶対に、さらに厳しく、などかなり徹底されているように感じられます。

エピソード2:母親からの携帯電話禁止令!

エピソード2は『母親からの携帯電話禁止令!』です。

羽生結弦さんは長年、母親から携帯電話禁止令も出ていて持たせてもらえなかったそうです。

大人になってからも持っていないようで、競技に集中する上で、必要ないということなのでしょうか?

エピソード3:母親が父親の反対を押し切った!

エピソード3は『母親が父親の反対を押し切りフィギュアスケートを続けさせた!』ことです。

羽生結弦さんの父親は羽生秀利さんという方で公立中学校の校長先生をしているそうです。

家計の収入は安定していますし普通の生活を送るには金銭面の問題はないと思われます。

羽生家はお姉さんと結弦さん、兄弟で幼い頃からフィギュアスケートを習っていた為、父親が公務員でも金銭的に厳しかったようです。

父親より「フィギュアスケートはお金がかかるから続けるのはやめよう」
母親から「私がなんとかする」

と反対を押し切り、フィギュアスケートを辞めさせずに家計のやりくりをしていたそうです。

エピソード4:母親の金銭面サポート!

エピソード4は『母親の金銭面サポート!』です。

母親が実践していた金銭面サポートの一例がこちらです。

・家賃5万円
・母親がパート掛け持ち
・衣装は手作り
・ヘアカットも母親

父親が校長先生で家賃5万円のお家に住むとは、かなり節約しているように感じます。

ヘアカットはプルシェンコ選手に似せたマッシュルームヘア、衣装はスパンコールなど一つ一つ手作業で作っていたそうです。

エピソード5:母親が常に同行!

エピソード5は『母親が常に同行!』です。

常に会場に同行するそうで、インタビューを受ける際にも常に近くにいるんだとか。

記者からスケート以外の話題を振られると…母親が『競技に関係のない話です!』と横からコメントするそうです。

エピソード6:母親とカナダで二人暮らし!

エピソード6は『母親とカナダで二人暮らし!』です。

18歳でカナダに移住した羽生結弦さん。

この移住には母親も同行しカナダで母親と2人暮らしをされていました。

プライベートな時間はほぼなく、練習場と自宅の往復ばかりで、食事面は鍋や和食など消化の良い手料理で食生活をサポートしていたそうです。

英語の面では、早く羽生結弦さんの英語が上達するようにあえて通訳をつけず、2人で外出して英語で会話する機会を設けることで、英語はどんどん上達したそうです。

エピソード7:母親の献身的なサポート!

エピソード7は『母親の献身的なサポート!』です。

母親が2歳から喘息持ちだった羽生結弦さんのために、屋内でほこりが少ないスポーツが最適と考え勧めたそうです。

また、幼い頃からカナダ生活まで栄養管理された手料理で食生活をサポート、メンタルケアの勉強もしてメンタルサポート、常に献身的にサポートされてこられたようです。

羽生結弦の母親は離婚理由にもなった?

羽生結弦さんは2022年3月に仙台市内の高級タワーマンション最上階を2部屋購入したといいます。

一つは羽生さんと元妻の新居で、隣には羽生さんの両親と姉が住んでいるようです。スケートリンクへの送迎は両親がしており、母親は相変わらず羽生さんとべったりだったとのことです。

結婚後も食事面の管理は母親が行っていたらしく、深夜の練習も母親や姉が同行で蚊帳の外、バイオリニストとしてのキャリアを捨ててまで、アスリートの妻になる覚悟があっての結婚ですから辛かったと思われます。

まとめ

わずか105日で離婚をした羽生結弦さん。

オリンピック金メダリストで国民栄誉賞を受賞するくらいの国民的アスリート。

キャリアにキズがついてしまいましたが、今後の活躍を楽しみにしています。

 

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