なかにし礼さんは、68年の黛ジュン「天使の誘惑」や82年の細川たかし「北酒場」といった楽曲がレコード大賞を受賞するなど、最後まで作詞家人生を貫いています。
今回は、そんななかにし礼さんと兄(正一)さんが『借金で絶縁状態だった』とのことで調べてみました。
なかにし礼の兄は借金まみれ!
借金の原因は金遣いの荒さ!
なかにし礼さんと兄(正一)さんは戦争が終わると、一攫千金の夢に取り憑かれ、博打のようにコロコロと稼業を変えたといいます。
なかにし礼さんは、「兄貴は、押出しのある雰囲気でしたから、金のありそうな人のところに行って『一緒に仕事をやろう』と持ちかけると、相手は信用する。それで、兄貴は社長になって、相手が工面した金を使ってしまい、会社が潰れる。その繰り返しですよ」とコメントしています。
なかにし礼さんが作詞家として活躍すると、兄(正一)は大量のお金を無心しては豪遊。
それだけでなくなかにしさんの印税を自らの口座に振り込まれるよう勝手に変更し、なかにしさんに生命保険までかけていた。
さらに経営に失敗して作った4億円もの負債と2億円の個人的な借金をなかにしさんに被せると、行方をくらませたそうです。
突然戻ってきた兄は、今度はクラブの女性に入れあげ2000万円もの借金をしていることが発覚し、これまで「兄弟が諍いを起こすと母が悲しむ」という思いで必死に耐えてきたなかにしさんだったが、ついに絶縁を言い渡したそうです。
なかにし礼兄弟の生い立ち!
なかにしさん兄弟は旧満州で1、2を争うほど裕福な家庭で育ったといいます。
兄はその跡取り息子として育ったが、戦争で学徒出陣し、旧満州が瓦解すると家族は財産をすべて失ったそうで、
父はソ連軍に連行され、なかにしさんは街頭に立ちタバコを売るなどして日々をしのいだそうです。
終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えたといいます。
兄は立大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となったそうです。
兄の娘は森田童子だった!
なかにし礼さんとシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを、なかにし礼さんの遺作である『血の歌』の中で明らかにしたことで話題になりました。
森田童子さんは男性的なファッションにロングのカーリーヘア、サングラスが特徴的で、1973年からライブハウスで活動し、1975年にメジャーデビュー、1984年に活動を休止しています。
50代以下の人には、ドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」の歌手というと、わかりいやすいですね。
まとめ
なかにし礼さんの兄が借金まみれの人物だったなんで驚きです。
6億円の借金を全部弟にかぶせるって、どこか感覚がおかしくなっていたのかもしれませんね。
また、なかにし礼さんは「これからは女房をより大事にして生きていかなければいけないと思うし、もの書きとしては、命のある限り書き続けていきたい。僕は『書くこと』にしか興味がないですから」とコメントしています。
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